すべては『プガジャ』から始まった【新保信長】新連載「体験的雑誌クロニクル」2冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」2冊目
広告はライブハウスやジャズ喫茶、本や雑誌や映画関連のものが多く、それ自体が情報だった。かねてつ食品(現カネテツデリカフーズ)の広告で、中島らもが「微笑家族」という、およそ広告らしくない奇妙なマンガを描いていたのも記憶に残る。
一方の『Lマガ』は、あくまでも情報中心。イベントだけでなくタウン情報も扱い、〈最新レジャー情報カタログ〉と銘打たれていた。創刊当時は新聞社が母体ということもあってか、幅広い情報をフラットに扱う感じで、良くも悪くも編集部の独断と偏見が誌面に反映された『プガジャ』とはそこが違った。
そんなわけで、中1か中2の頃には『プガジャ』を毎月買うようになっていた。『週刊少年ジャンプ』などのマンガ誌を別にすれば、自分の小遣いで継続的に購読した最初の雑誌である。一番にチェックするのは映画のスケジュールだが、買ったからには特集記事やインタビュー、連載も読む。中学生にはよくわからない部分もあったけれど、とにかく世の中にはいろんな人がいて、いろんなことを考え、いろんなことをやっているのだということはわかった。
それまでにもウチの食堂に置いてある新聞や週刊誌などをちょこちょこ読んではいた。が、それら古参の大手メディアの記事はどこか遠い世界の話として見ていた気がする。片や『プガジャ』は、作り手の肉声が聞こえてくるような身近さがあった。
実際、読者と作り手の距離は近かった。誌面だけでなく編集部内に「フリーマーケット」のコーナーを設け、読者からの出品(本、雑誌、チケット、Tシャツなど)を売買する。イベント情報には「自主上映」「自主講座・講演会」といった項目があり、「読者短評」と名づけられた投稿欄では熱い議論が飛び交う。さらにすごいのが「今月のプレゼント」。何がすごいって、往復はがきでの応募で当選通知を受け取った者は、プガジャ事務所まで賞品を受け取りに行かねばならないのだ。
かくいう私も、名画座の招待券を当てて(わりと当たりやすい)、取りに行ったことがある。数百円のチケットのために電車賃を払って取りに行くのはどうなのかと今なら思うが、プガジャ事務所を訪ねること自体にワクワクした。奥付ページには事務所の手描き地図が載っていて、〈プレイガイドジャーナルの事務所へあそびに来てください〉と、これまた手書きで書いてある。このミニコミ的手作り感が、『プガジャ』の魅力のひとつだった。
手作り感といえば、「お詫びと訂正」が充実しているのも『プガジャ』の特徴だ。毎号、びっくりするぐらいの数の「お詫びと訂正」が載っている。誤字脱字ならまだしも電話番号や日付の間違いもけっこうあって、情報誌としてあるまじき話だが、それが(ある程度)許された時代でもあった。
編集後記(同誌では「編集雑記」と称す)や小さなコラム、読者投稿への返答などからも作り手の顔が見えてくる。“どこかの誰か”が作っているのではなく、“こういう人たちが、こういう考えで作っている”というのが伝わってくる。そして、自分も(単なる受け手ではなく)そこに参加しているような気がしてくる。それは必ずしも『プガジャ』に限らず当時の(メジャーではない)雑誌全般にいえることではあるけれど、自分にとって雑誌というメディアの面白さに目覚めたのが『プガジャ』だったのだ。
今見返すと、まさに当時の関西若者文化の最先端が詰まっている。誌面に登場した人物を既出の名前も含めてざっと挙げれば、笑福亭鶴瓶、紳助・竜介、上田正樹、松本雄吉(劇団維新派)、中川五郎、大塚まさじ、友部正人、いしいひさいち、川崎ゆきお、ひさうちみちお、中島らも、井筒和幸、大森一樹、日下潤一、森英二郎、糸川燿史……など。今や大御所だったり故人だったりもするが、当時は新進気鋭であった。『プガジャ』の自主企画で森田芳光や長崎俊一のインディーズ作品の上映会を開催したり、井筒監督の『ガキ帝国』ではプレイガイドジャーナル社が製作に名を連ねたりもしている。
そんな『プガジャ』の表紙に打たれていたキャッチコピーが〈街で生活するひとへのメッセージと京阪神のイベントガイド〉。途中で「京阪神の」が削られたが、単なるイベント情報誌ではなく「メッセージ」が込められていたのである。というか、そもそも誌名に「ジャーナル」と入っているとおり、そこには確かにジャーナリズム精神があった。
しかし、81年10月号で誌面がリニューアルされ、キャッチコピーも〈街で生活するひとたちの出会いとイベントガイド〉に変更される。〈表紙の文句が象徴的に変えてありますが、記事の方もいくぶん軽く、プガジャ側からの主張と毒気がうすくなってあくまで読者の仲立ちという立場に変わったように見受けます〉という目ざとい読者からのお便りに、就任したばかりの5代目編集長・村上知彦氏は〈スタイルは軽くなっても、こめるものの重みは変わらないつもりです〉と返答している。